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ライオネル・ファイニンガー |
(1871-1956) アメリカ生まれ ドイツ キュビズム 表現主義
バウハウス設立に参加
ヴァイオリンを学ぶため16歳でドイツに渡る。
しかし美術に興味があり、ハンブルクとベルリンで素描を学んだ。
1889年から挿絵画家として活躍。
1906年から2年間、パリに滞在する。
そのときにドローネーやピカソに影響を受ける。
1919年からヴァイマルとデッサウのバウハウスで教える。
1933年、ナチスによって同校閉鎖される。
その後はベルリン活動していたが、1937年アメリカへ戻った。 |
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ライト・オヴ・ダービー |
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ラウシェンバーグ、ロバート |
(1925-) アメリカ ポップアート、ネオ・ダダ アサンブラージュ
テキサス州生まれ。パリやニューヨークの美術学校で学ぶ。
1950年代頃からアサンブラージュを始めた。
都市文明の廃物から美術作品を作り上げる。
デュシャンのレディ・メイドに通じる作風からネオ・ダダとされた。 |
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ラウール・デュフィー |
(1877-1953) フランス フォヴィスト
ル・アーブル市立美術学校の夜間クラスに通っていた。
1900年、奨学金を得て、パリ国立美術学校のレオン・ポナに学ぶ。
1905年、サロン・ドートンヌでマティスに感銘を受ける。
以後、フォーヴィズムに進む。
絵画だけでなく、版画、舞台芸術、陶芸など幅広く活躍した。
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ラーション、カール |
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ラースロー・モホリ=ナギ |
(1895-1946)
ハンガリー生まれ ドイツ バウハウス、構成主義画家、写真家
第一次大戦後、ウィーンに出国。
前衛的な「MA]グループの通信員としてベルリンで活動。
ロシアの前衛美術に触れ、構成主義の展開に貢献する。
1923年から28年までバウハウスでデザイン教育に取り組む。
ナチスの弾圧で、バウハウスが閉鎖された後、
アメリカに渡り、シカゴで「ニュー・バウハウスを開設。
実験写真・映画、舞台美術、工業デザインなどなど、活動は多岐に渡る。 |
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ラ・トゥール、ジョルジュ・ド |
(1593-1652) フランス バロック、古典主義 * |
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ラトゥール、ファンタン |
( 1836-1904) フランス 写実主義 * |
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ラッセン、クリスチャン |
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ラファエロ |
(1483-1520)イタリア 盛期ルネサンス |
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ランブール兄弟 |
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